鬼女事件簿

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阪神大震災

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768: おさかなくわえた名無しさん 2013/09/30(月) 02:28:08.33 ID:xe02L5rX

スレ違いかもしれないけどここに落とします。 
長文でごめんなさい 

始めての会社での出来事、関東の学校を卒業して大阪の会社に就職した。 
四月に入社し関西の事情や裏の話、世の中の汚い事すら詳しくわからないまま 
次の年の一月に入った。 

そして阪神大震災 
会社の寮ということもありすぐに会社へ出てみた、机の上の物や棚がひっくり返っていたが 
とりあえず他の者が来るまで待っていた。 
車通勤ということもありほとんどの社員が出勤してきたが兵庫県から通っている課長が来なかった。 
そしてテレビ等で映像を見て状況に驚き、課長の安否を皆心配していた。 

そうしたら午後に専務が訪れ「本人は大丈夫」との事、 
専務はニュースを見て課長の事が気になり確認しに行ったそうです。、 
山登りが趣味とはいえ専務は堺から課長の家に歩いて行き安否を確認して会社に出てきたそうだ。 

しかし「課長の家は全壊している」との話も 
そして課長を支援する空気が自然に全社に湧いてきた。 

翌日には取引先にも広がり皆課長を支援しようとなった。 

そして地震から三日後、支援部隊結成して課長の家へ、 
陸路はダメだったので取引先の台船を使い近くの川から陸揚げ、 
人は動けるところまで列車に乗り、そこから徒歩・・・20キロぐらい歩きました。 
駅から課長の家に向かうにつれ阿鼻叫喚の世界が広がって来ました。 

課長の家に着いたら2階建ての家が完全にぺちゃんこ、奥さんは無事だったそうですが 
病弱だった親父さんが助け出されましたがなくなったそうです。 

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315: おさかなくわえた名無しさん 2012/06/29(金) 11:16:29.68 ID:KEcz1WfK
阪神大震災の時の話
家が倒壊し、完全に家を失った人、
金を失った人が学校の体育館に集まってた

んで、その方々はトラックでやってくる弁当やら
ご飯の支給でなんとか食べていけてたんだが
ある日トラックが体育館前に停車した時、
在宅してて避難しなかった連中が数十人トラックを囲み
「俺たちも被災者だから飯をよこせ!」と声高に叫んで、
トラックの窓ガラスをガンガン叩き始めた

警察が来る騒ぎとなったが、
人に施しを受けなければいけない状況なら
在宅ではなく学校へ避難すればいいし
本当に家を失って何もできない人々が学校に集まってるのに、
普通に家があって金もおそらく残ってある連中が
弁当やらをくれと主張するってずうずうしい。

そもそも、トラックはその学校へ支援にきたのであって、
近隣住民に支援にきたわけではないし。


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18: 名無しさん 2014/04/07(月)20:50:48 ID:1mDeVeyZD
 
初投稿なので色々読みにくいと思いますがご容赦下さい。

名前以外はフェイク入れようがないので身バレ覚悟。


20年近く前の話。
震災一年前に関西圏にある某パン工場に中学卒業後就職。
その年の夏に中途採用でNと言う人物が入社してきた。
Nは入社の時からちょっと変わったような所があったようですが、16~17歳の自分には見抜けなかった。
帰宅の電車も同じ沿線で帰りが何度か同じになった。
そこでNは以前とある海外の女性と婚約までして破棄されたと身の上話をしてきた。
男性とのお付き合いなんて浅く、ましてや結婚の話なんて全く無縁だった自分には

「元気出して」位しか声かける事はできなかった。


私はその職場で入社後お付き合いした方がいたのですが(Dさんとする)、

諸事情で付き合って1ヶ月程で別れてしまっていた。

ある日、社内で清掃作業をしているとNが近くに来た。
そして何やら二言三言話した後に突如「好きやで」と言って抱き付かれた。
私は怖くて固まるしか出来ず、Nの抱擁を振り払えなかった。
後日「好きと言われても困る。私は貴方には何の感情もない。」とお断りしたが、

そこからNの行動がエスカレートした。


自宅番号を調べてかけてきたり、自宅に干していた私の衣類が紛失したと思ったらNが着用していたり、
社内でも執拗に私と付き合っているアピールをしていた。
私は周りに違うと言っていたがNは「照れ隠しに否定しているだけ」と触れ回っていた。
同じく、Dさんには執拗に嫌がらせをしていたと後に知った。
(知った後、此方からきちんと謝罪しました。)
会社に行くのが嫌になり始めた頃、阪神大震災が起き、パニックの中バタバタしていると、親の所にNが挨拶しに来た。
飲み物やクラッカーを持って何かアピールしていったようで「爽やかな好青年じゃない」と誉めていた。

自分が今までされた事や思いを打ち明けて親には理解して貰って被災後の住所の流出は免れたけど、
職安等で後を付けられる事があったりした。
その後数年してから桶川のストーカー事件があって。

「あれはストーカーだったんじゃ?」と自分の心の中が修羅場になりました。
 

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